Judas priest『Turbo』(1986)
メタルゴッド・ジューダスプリーストの10枚目。
時代を反映したシンセ(ギターシンセ)サウンドが賛否を呼び、現在でも立ち位置が微妙なアルバム。
確かにシンセは目立つけど基本的には普通のバンドサウンドで、ポイントポイントで使ってるだけという印象。
曲自体もアメリカを意識した当時のジューダス(「ジューダス」と呼ぶか「プリースト」と呼ぶかは世代によって分かれるらしい。もちろん前者がおじさん世代。)っぽい曲だし、そんなに酷評するような出来でもないんじゃなかろうか。
個人的には元々ジューダスのポップ曲は好きじゃないんで「Private~」とか「Rock you~」はノーコメントだけど、タイトル曲の「Turbo lover」(ギターソロが超カッコいい!)、「Locked in」、『Priest…live!』のオープニングでもある「Out in the cold」、「Reckless」なんかはシンセがなければきっと往年のファンからも名曲認定されてたんじゃないかと思う。
ところで、久々にこのアルバムを聴いて伊藤政則の解説も読んでみたんだけど……、
無!何も言ってない!
「奥義に辿り着くのは至難の業で~」「今、僕は再び自分自身に問いかけている。」「どこがどう問題作かなんて、聴いてもらえばわかる。そんなことよりも"何故だ!"との答えを~」「古典芸能は"モダン"を拒絶した孤高の存在に~」……
抽象的な否定の文章から戸惑いと困惑がありありと感じられる…。
ジューダス全肯定派だと思ってたセーソクですらこうなのだ。当時のファンが当時のジューダス、メタルに求めていたモノとの乖離の程が伺い知れる。
アルバム毎に作風を変えてきたジューダスが80年代にデジタルを取り入れようとするのは自然だと思うし、今の耳で聴けばそこまで違和感のある音でもない。
過去に与えられた不毛なレッテルは無視して純粋に音楽を楽しむべきアルバム。